diary 200410



■2004.10.02 土

 車で1時間ほどの海へ鮭釣りに行く。しばらくやっていなかったけれど、今年は久々にやっている。ただ、釣って持ち帰っても大きな魚なので消費し切れない。なので、やっているのは釣るだけの釣り。でも、今日は魚に掠りもせず。
 釣り場を離れて河口を見に行く。これから遡上する鮭が群れている。その鮭を狙って川の中で引っ掛け針をなげている大勢の人々。時折鮭が掛かる。雄鮭が揚がった。けれど針から外された後は足蹴にされて川へ放り込まれる。雌鮭が揚がる。待ってました。その場で腹を裂かれ卵が取り出される。魚はそのまま捨て置かれる。彼らが欲しいのは、卵だけ。腹を裂かれて川原に捨て置かれた死骸が、腐臭を放っている。川の中で鮭を釣るのは違法だし、引っ掛け針で魚を獲るその方法自体も違法だ。だが、そうした人々にとって、そんな事はお構いなし。鮭も命ある魚ではない。イクラに過ぎないのだろう。
 自分には、そういう人々のやることは判らない。判ろうとも思わない。でも批判はしない。ただそれを見て帰ってきた。どのやり方が正しくてどのやり方が間違っている、ってことは、よく判らない。その人にとってはそういうやり方もあるのかも知れない。でも、自分はそのやり方がいいとは思わない。だから決してそういうやり方は受け入れない。そういうのは何と言うか、心が遠いことだと思う。


■2004.10.03 日

 そういう事を書いたついでに、思い出した子供の頃の話。
 地元にもそういう人々は多くいた。自分は幸いそういうやり方は教わらなかったので、子供の頃はそういうことをする人、というのが本当に嫌いだった。で、子供心に許せず、友達何人かとその人達を何とかしてやろうと思った。ただ、真っ向から行ってどうにかなるはずもない。で、考えた末に用意したもの。「ロケット花火多数」 「爆竹」 「蚊取り線香」 「分解した爆竹の導火線多数」。
 まず川原で鮭の引っ掛けに夢中になっている人々の背後に移動し、彼らの方向に向けてロケット花火をずらっと並べ、導火線を分解した爆竹の長い導火線で繋いでゆく。そうして、繋いだ導火線の端を蚊取り線香の中心の穴に差し込み固定する。適度な時間で点火するよう、蚊取り線香を折って長さを調整する。点火までの時間は、概ね長さ10センチで1時間、半分で30分程度なので、それほど長さはいらない。指の先ほどの長さにに折り、ナイフで点火する方の端を鋭角に削り、反対の端に括れを彫って、導火線を巻きつける。ロケット発射時におまけで爆竹も爆発するよう、導火線には爆竹の束もセットしておく。最後に蚊取り線香に火を点けて、その場から離れた。
 自転車で逃走し、河口から一本目にかかる橋の上でしばらく待っていた。やがて遠くで何十秒にも渡って無数の花火の炸裂音が響いた。ざまぁみやがれ。子供達は凱歌を上げた。その時の彼らの状況を見ることはできなかったけれど、それは想像だけで充分だった。


■2004.10.08 木

 期末で締めた仕事の書類造りが完了。出来上がったのはバランス悪く積み重ねられた1500枚程の上質紙の束。同じ位置でホッチキス止めした書類の集まりなので、そのホッチキス止めしてある側だけがかさばって、書類は積み重ねてゆくごとに斜め、斜めのバランスが悪い山になってゆく。そしてやがて雪崩がおきる。…のも困るので、50枚くらいづつホチキス止めしてある側が交互に重なるよう積んでゆくと、両サイドが高く中央が凹んだ標高30センチ以上の山が完成した。いや別にひとつに積み重ねなくても良かったのだけど、何となくやってみたかっただけ。まぁ、ホッチキスってのは意外とかさ張るものだ。
 その書類の山を、封筒には入り切らないので箱詰めし、送るべきところへ送って期締めは終了。上半期も終了。あと6ヶ月。


■2004.10.09 金

 終業時刻になると、状況に関わらずぴたりと仕事を止めて帰ってゆく人がいる。そういう人の中には、きっかりと仕事を止めて帰ってゆける自分の図太さというか、「仕事に縛られるのがいやだから」というような自身のちょっとした美学というか、そんなところをそれとなくアピールしているような感じの、そんな人もいる。
 仕事に縛られるのが嫌だから、と、とにかく終業時刻に仕事を止める人。でも、縛られるのが嫌だと言いつつ、そういう人たちは随分と「時間」というものに縛られていると思う。いや、それに限らない。「縛られるのが嫌だ」という、そのことに縛られてしまっている人って、意外と多いのかも知れない。

 ああ、そういえば書き忘れていた。
 水曜日に今年初めての雪虫を見た。
 先のことはよく判らないけれど、こうした景色。この季節の移ろい。心のどこかに今年が最後、という意識がある。いや、決してそんなことにはならないのかも知れないけれど、心の片隅には、そういう意識が確かにある。今年になって何故か復活した鮭釣り熱も、ひょっとしたらその辺りから来ているのかも知れない。

■2004.10.11 日

 前に書いた場所と同じ所へ、再び鮭釣りへ行く。鮭、と書いているけれど、こちらでは秋鮭のことを一般的に「アキアジ」と呼ぶ。漢字で書くと秋味。だから本当は「アキアジ釣り」なのだけど、ここでは「鮭釣り」と書いている。
 それはともかく。夜明け前に現地に到着する。小雨模様なので釣り人は疎ら。1時間ほどで雌鮭を1匹釣り上げる。傍にいた釣り人がタモを出してくれた。針は口の奥深くに掛かり、上あごを抜け、眼を貫いて針先が出ていた。
 今日釣り上げた魚は持って帰るつもりでいたので、釣り場に移動する途中に手ごろな棒を探し、拾って持ってきていた。それで暴れる鮭の頭を一撃する。殺す、とは言わない。シメる、と言う。暴れていた鮭は一打で動きを止め、ヒレの部分だけがヒクヒクと痙攣するだけになる。今では大抵一撃でシメることができるけれど、子供の頃はなかなかそれができなかった。暴れる鮭の頭を何度もポカポカと叩き、終いには叩きすぎて鮭の頭を砕いてしまったこともあった。でも、その時の後味の悪さといったら。
 大抵の釣り人はこうして、釣った鮭をその場ですぐにシメる。理由のひとつは暴れる鮭から針を外すことが危険だから。大抵の鮭釣りマニュアルにもそう書かれている。「針外しはキケンなので、必ず棒などで頭を叩きシメてから外すこと」てな感じで。でも、違う理由もあるだろう。魚もこのくらいのサイズになると、ずっしりとくる重さの命。手ごたえのある命。それに対する敬意というのだろうか。余計な苦痛を味あわせたくない、という気持。そういう気持も、釣り人の中にはあると思う。
 と書いてはいるけれど、自分が鮭の頭を叩く時って、どんな気持だろう。よく判らない。多分、あまり余計なことが頭に浮かばないようにしているのだと思う。ありがとう。いただきます。

 にしても、切れない包丁で3枚におろすのが大変。刃渡り20センチくらいだし。


■2004.10.16 土

 平日は出張やらなんやらで道内各地へ。週末くらいしかなかなか書けないのだけど、週末になると鮭釣り、なのでもうすっかり鮭釣り日記になっている。でも、今週末は荒れ模様なのでおとなしく過ごす。先週釣った鮭は今週いっぱい夕食の食卓を飾った。というより毎日がイクラ丼だった。鮮度がおちないうちに無理矢理食べ切った、という感じもするが。
 イクラは粒をばらし終わって、さあ醤油に漬けよう、と思ったら醤油が切れていた。買いに行くのも面倒だったので「めんつゆ」に漬けてみたのだけど、これが思ったより美味かった。
 来週から1週間不在になるので、冷蔵庫の中を片付けた。

 

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